妄想与太話。

大学生の日記です。

無理に背伸びしなくていいかもしれない。

(この記事は約1300文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

22歳にもなると、知らなかったり出来なかったりすることがとても恥ずかしく感じられます。

 

先日、会社の方に同行した際、コーヒーをごちそうになりました。

それは良かったのですが、あいにく僕はカフェなどに入ったことがほとんどなく、

「どれがいい?」と訪ねられて困ってしまいました。

 

メニューは細かいし、噂に聞く「トール」とか「グランデ」とかのサイズはちんぷんかんぷんです。気を遣ってアイスコーヒーを頼んでくれましたが、自分の経験の乏しさを呪いました。

 

それだけじゃなく、お客さんにランチをごちそうになったときには食べるのが遅くて待たせてしまったし(しかも少し残した…)おごられることに慣れていなくて変な会話をしてしまいました。早急に話を変えましたが、フォローになっていたのか…。

 

これが中学生や高校生ならまだ良かったかもしれません。小さな子どもが靴をきちんと揃えただけで褒められるように、年齢が若いとそれだけ常識に欠けていたり(その常識も大人が勝手に作った変な慣習なんですけどね)知識が及ばなかったりしても、何か文句を言われることは少ないでしょうが、この年になるとそうもいかないし、これからさきはもっとその傾向が強まるでしょう。

 

でも実際、それだと大人になればなるほど、わざわざ知らない世界に飛び込めなくなりそうです。大人は出来て当然、経験していて当然みたいな空気があったら挑戦しにくくなってしまいます。(同調圧力の効果は日本人の大半が知っているでしょう)

 

経験や知識は人それぞれなのだから、子どもからでも教えてもらえることは多そうです。けれど、大抵の大人たちは自分のプライドを守るために「子どものくせに」とか「女のくせに」とか「学歴低いくせに」……とおおよそ自分が見下している人の意見を聞かないし、自分が自然にこなすことをできない人を見つけるとまるで敵であるかのように“口撃”してきます。

 

もっと素直になって自分ができないことは教えてもらい、できることは教えてあげる文化が広まれば僕にとって望ましいですが、そううまくいくものじゃないことは想像がつきます。

 

 

自分が今まで思い描いてきた「22歳像」はすでに崩れ去っているのですが、新しく作られている「22歳像」も個性の1つですし、何より「30歳なのに…」とか「50歳にもなって…」なんて文句をいわなくなると思います。人それぞれ。

 

これまではテレビの街頭インタビューなどで、受け答えが稚拙だったりしゃべり方が特定の層に(こういう考えもよくない?)属している感じだと、心の中では嫌悪感を持っていました。

 

そういった感情は自然発生してしまうのでしょうがないのですが、ついうっかり「この人頭悪そう」とか「一緒の職場にいなくて良かった」とか言ってしまうので、それを慎もうと思います。

 

人のこといえませんし、第三者から「なんだこいつ気持ち悪い」といわれたら傷つきますしね。(実際何度か言われたこともある)

 

というわけで、やたらと年齢(他にも肩書きや経歴とか)に固執することなく、等身大の自分を受け入れて(もちろん他人も)その上でレベルアップを図りたいです。