妄想与太話。

大学生の日記です。

お化粧をする権利かお化粧をする義務か。

(この記事は約1000文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

セミの鳴き声が聞こえました。もう夏ですね。

 

そんなことを考えながら朝身支度するんですが、僕は朝の身支度が苦手で、今日は2時間かかりました。もし僕が女性でお化粧もしなくてはならないとしたらと思うとゾッとします。

 

ああ、男に生まれて良かった。

 

が、しかし。それは逆に男はお化粧できないことを意味します。(もちろん不可能なわけではありませんが…)

 

ジョークとして女性がお化粧を落としたら誰だかわからなかった、なんて話もありますが、実際お化粧マジックは人をだませる力があります。

 

でも、男性はこの力を基本使えません。

 

そのため、容姿を気にする世の少年・青年は丹念に髪をいじり回します。

しかしどんなにいじり回したとて、効果は薄く、ひどい言い方をすればどんぐりの背比べです。

 

ただ女性はお化粧できるありがたみも感じつつ、「身だしなみ」として毎日せっせと顔を作らなければならない生活を面倒に思う人もいるんじゃないでしょうか。

 

こうした権利なのか義務なのかわからないような例は他にもあります。

 

例えば、スマホSNS

 

僕たちはちょうどガラケーからの移行期を目撃したわけですが、スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグのようなカリスマに加え、技術者の血と汗と涙によってスーパー便利ツールを(お金を払えば)利用できる権利を有しました。

 

これは昔と比べても明らかな進歩で、私たちは幸せに感じるべき…なのですが。

同時に高い本体代、通信費を払うことになり、ネット中毒やSNS中毒を生み出し続けています。しかも「俺は面倒だからいいや」とはなかなかなりませんよね。

そこに快楽発生源があれば手に入れたくなるのが動物というものですし、LINE全盛の時代に「俺にはメールで送って」なんていったらひんしゅくを買うこと間違いなしです。

 

 

上記に共通するのは「嫌ならやめればいいじゃん」といえることです。

 

しかし、常識の流れに刃向かえる人はごくわずかです。

 

たぶんこの「常識」に今まで何百億人の人が苦しめられてきたことでしょう。

 

常識に縛られない唯一の方法は他人を気にしないことですが、それが多数派になったらなったで秩序は崩壊しますし……

 

長いものには巻かれよってことですね…。