妄想与太話。

大学生の日記です。

人を見かけで判断するな!あ、だからって中身だけはちょっと…

(この記事は約1400文字です。 目安読了時間:2分強)

その人の真の価値というものは容姿で判断すべきか、中身で判断すべきか、それとも両方か……。ブサイク界のイケメン、弥生仁が出した答えとは……!?

 

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恋愛の話題になると、

「容姿にとらわれるのは未熟、中身(=性格など)こそ本当の姿」

という考えが広く普及していますよね。

 

僕はこれに違和感を覚えます。

 

見た目もその人を構成する本物の要素だし、中身だって遺伝と環境で決められているに過ぎないのでは?

 

たしかに、顔面偏差値2の僕としてはありがたい風潮です。

「顔が悪いからモテないんじゃない。ホラ、イケメンじゃなくても彼女を連れている、美女と野獣カップルがいるだろう」的なフォローも受けます。

 

が、それって遠回しにこう言ってませんか?

 

「モテないのは君の顔が悪いんじゃない。中身が悪いのさ!」

 

なんか、これむしろダメージを食らうんですが……

 

たぶん、中身(実際、脳?)こそ「本物」というのは顔を含む容姿が遺伝的にほとんど決まってしまう一方で、性格はもうちょっと柔軟性があるように思われているからなのでしょう。

 

しかし性格について(僕は学術的に学んでいませんが)だいたい

 

遺伝で色が決まり、環境で形が変わる粘土のようなもの

と認識しています。

 

生まれながらに社交的、内向的、攻撃的などのカラーがあるものの、それでも同じ色は1つとない、その上、形はまさに千差万別で、しかも変形するという特性がある。

 

そこで問題になるのが、形は「自ら変わるのか、変えられるのか」ということです。

 

「よっしゃ!攻撃的な性格を変えてやるで!!」と意気込んで変えていくのか、

「えらいこっちゃ…ここの先輩達は悪鬼羅刹の類いや……」と次第に子犬のような性格に変えられるのか。

 

白黒はっきりとはわかれないものの、後者の方が影響が大きいでしょう。

(でなけりゃ、みんな自己啓発成功します。)

 

 

そう考えると、残念な性格の人も情状酌量の余地がある気がします。

 

だって、「親はネグレクト&虐待してくる、通った学校は学級崩壊、友達はゼロ、就職先ではいじめられている」人がいるとして、この人が道行くおばあさんに

 

「荷物重そうですね。お手伝いしましょうか?ニコッ」

 

なんてセリフが言えたらほんと、もう、何かしら与えますよ。どえらい何かを。

 

普通は「はい、えんがちょ」したくなるすさんだ性格になってしまうでしょう。

 

 

 

 

オウム真理教が死刑執行をきっかけに話題になってますが、洗脳も環境で性格を変える方法です。

気質(=色)がバラバラでも同じ洗脳の手口で性格(=形)を変えられてしまうのだから怖い話です。

(色はバラバラなのに形が妙に統一されたオブジェのイメージでしょうか…)

 

じゃあ性格で判断するのは差別かと言われるとそうじゃない。

 

結局は善悪とか美醜ではなく、好き嫌いの問題なんだと思います。

 

評価者がどう判断するか、それだけです。だから容姿100%でも別にいいし、半々でもなんでもいいんです。ただの好き嫌いの話ですから。

(これは世の中の批判・風刺・賞賛全てにあてはまりそうです)

 

 

 

 

 

まあ、僕が言いたかったのは「見た目がタイプ!」っていう人を思考停止で軽蔑するのはいかがなものか、ということ。

加えて、「断固性格重視!」の人も性格は環境で変えられるから結婚とか子どもができたり環境が変わったら相手の性格に失望するときが必ずくること。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、最強はぼっちなのです。