妄想与太話。

大学生の日記です。

どうしようもない愚痴。

弥生仁(怒)です。

 

さて、僕が何に対して怒っているかというと、世の中の風潮なんですけど

 

チェリーをバカにしすぎてません?

ちょっと舐めすぎてません?レロレロレロレロってか。

 

これは前々から思っていたんですが、自分がそうだからというわけでなく、普通に差別なんじゃないかという話をしたいと思います。

 

現在、平成も終盤にさしかかり、様々な「ハラスメント」や「いじめ」が問題視されるようになってきました。

 

ハラスメントは地位や立場といったものを利用して相手を苦しめる行為です。

いじめも弱い立場の人にたいして相手を苦しめる行為です。

 

そして、差別は上の要素に加えて、「生まれながらにしてそうなった」人々を苦しめる行為だと思います。

 

最近ニュースになった同性愛カップルへの「生産性がない」発言がありましたが、「たしかにあなたから見たらそうかもしれないが、それは日本国憲法の重要な柱である個人の尊重と相容れない考えだ!」といえるでしょう。

 

アメリカをはじめとした黒人差別やその他生まれつきの「個性」に対する差別は今も根強くあるものの、同時に社会がそういった差別を「悪」と認めていることも多く、今後悪化することはないと思います。

 

そこで問題になってくるのがどこから「個人の責任」になるか、ということです。

 

例えば、太っている人というのはよくいじられます。そして、遺伝的肥満や病気などの理由で太ってしまった人を除いて、たいていは生活習慣が原因で肥満になります。

 

でも太っている人の気持ちは太っている人にしかわからないでしょう。

 

僕は小食であり、運動をしないと逆に痩せていく体質です。(今は)

なので、「ダイエットはその気になればできるでしょ」と思ってしまいます。

 

けれど、太っている人にとってみれば「食べることが生きがい」「ストレス解消に食べてしまう」「仕事がきつくて運動する暇がない」「性格的に妥協しやすい」といったいろいろな原因を抱えていることでしょう。

 

それを「そんなのはお前が悪い!」「俺が出来るんだからお前ができないのは甘え」と切り捨てるのはどうも良くない気がするのです。

 

 

そして本題です。

 

陰キャ」や「コミュ障」といった烙印を押された青年たちは全国に何万といるでしょう。

 

友達も少なく、経験に乏しく、周りから浮いてるのが目に浮かびます。

 

で、僕は就活で仲良くなった人などと話していて、恋愛の話題になり

「初恋まだなんすけど」

みたいな発言があると

「えええ!?」

とか

「風俗行けよ(笑)」

とか言われるんですが

 

 

余計なお世話じゃい!!!

 

何か?

お前らそんなに偉いんか?

 

「え…そんな人おるの…?」

みたいな反応されると背負い投げしたくなります。

 

いやいやいや個性ですけど!

 

 

類は友を呼ぶって諺がありますけど、恋愛にももちろんあてはまり、

「同レベル」のカップルが数多く誕生します。

 

こういってはなんですけど、メンヘラ女性と上場一部企業の役員のカップルって見たことありますか?

 

逆に眉毛超ほっそい金髪ピアス男と才色兼備キャリアウーマンのカップルなんています?

 

お前らに恋人が出来たのは似たレベルの人がいたからに過ぎない!

 

つまり、例えば性欲に正直な多少イケメンの男の元にはそりゃあ若い経験値の低い女性が集まりますわ。

 

あっさい「好き」いや、「好きもどき」の感情で性欲だけにまかせた恋愛をするわ。

 

発展途上国や低学歴の親を持つ層が早く恋愛や性交渉を経験し、結婚するのをなぜだか知っているか?

 

他にやることがない上に、巻き込んでくる人間がいるからだよ!

 

お前らが飲み会・合コンやってる間にこっちは本読んだり人生について考えてんだよ!

 

 

 

それを!それをだ!!!!!

 

「なんとこの年にして童貞である」

とか

「性格で何か問題があるのかな?」

とか

 

お前ら脊柱引っこ抜くぞ。

 

いいんだよ、人には人のペースってもんがあるんだから。いや、むしろ恋愛とは無縁の生活を送ってもいいんだ!!!!

 

世の中にはジャイナ教徒のように虫も殺さぬ人たちもいれば、菜食主義者もいるし、ずうっと非正規雇用で働く人もいるし、中卒の人もいるし、何浪している人もいる。

 

それでいいじゃないか!「みんな違ってみんないい!」だ。

 

 

 

おそらくマジョリティは「俺たちの常識が通用しないこいつら」をいじりたいのだろう。

あるいは、変・奇妙に思うのだろう。

 

自分に自信がある人が「周りはバカばっかり」と言ったり、「今どき投資をしない人は今後絶対に後悔する」とか言ったりするのと同じだ。

 

大きなお世話である。

 

他人の世界に土足で踏み込んで、しかも発言に責任を取らない。

 

うがああああああ。

 

 

 

 

 

とか言わない人になろうと思いました。

やっぱりね、マイナスなことが口からポロリしない人間っていいですよね。

ネット上の悪口とかひどいですもんね。匿名をいいことに。

 

僕の口からは爽やかな息と上質なお世辞しか出ないようにします。

 

 

 

死ぬ気で頑張っている人は世が世なら危ないヤツ。

(この記事は約2400文字です。 目安読了時間:3分強)

 

こんにちは。これから自分のことばかり話してしまうのでご了承ください。

 

僕は大学に入学してから今まで、自己啓発書の類をたくさん読んできました。そのため、「こうすれば人生うまくいく」「こういう人は失敗する」といったたぐいの言説は耳にタコ(聞いてはないですが)ができるほどです。

 

その一方で、どうも踏ん切りがつかないというか、自分の思う通りの人生を切り開けないのです。

 

そして、この要因は僕の目標が「そりゃあ叶うなら叶えたいけど…ねぇ」というレベルのものだからなのです。

 

つまり、僕は恋愛をしたいし、お金をたくさん稼ぎたいし、果ては漫画原作者として面白い読み切りを何本か作りたいし、もっと妄想チックになれば紅白に出たいです。

 

しかし、「そのためになんでもやるか?死ぬ気でするか?」と聞かれると…

 

まあ、さすがに紅白はどんなに努力しても限りなくゼロに近い可能性ですので執着はしません。ですが、漫画ネームぐらいになると…また、恋愛や仕事は?

 

なんとなく、自分でもできそうだと感じてしまいます。(苦労もせず)

 

ここが罠だと思うのですが、これらの目標や夢だってそこまで難易度が低いわけじゃありません。

 

僕がいうのもなんですが、受動的でしょっぱい恋愛をしている連中もたくさんいます。女子中学生とか女子高生の恋愛なんてたいていおままごとレベルでしょう。ちなみに僕はおままごと戦線にすらたどり着かないのですが。

 

「お前に彼氏ができたのは、お前に魅力があるからじゃなくて、お前の両親がそこそこの容姿に産んでくれて、なにより性別を女にしてくれたからだぞ。うぬぼれるな」

(人生初めてのモテ期が到来した女子に向かっての暴言です)

 

 

 

 

さて僕のように、「結局人生うまくいってないじゃーん」な人間に共通するのが

(目標が)「そりゃあ叶えたいけど…ねえ」レベルであることです。

 

死ぬ気で○○しろ!なんて言葉がありますが、実際「死ぬ気」ってありますか?

 

あったらやばいですよね。だって「死など問題ではない!」という思考なわけで、もはや兵士じゃん。兵士でもそういませんよね。

 

そう、また恋愛の話になってしまいますけど、本当に「彼女を作る」だけが目的なら、おしゃれな人に食事でもおごって垢抜ける方法でも聞き出し(もしくは服を一緒に買いに行ってもらうとか)、美容院に行き、明朗快活に話すことを心掛け、お金をいくらか使ってできるだけ出会いの場を設けることで、確実とは言わないまでも、高確率で彼女が作れますし(そんなに努力してたら誰か紹介しれくれるかも)うまくいかなくても人間的に成長することができるでしょう。

 

死に物狂いと比べたらこんな行動カスみたいなものですが、それでも、これらを実践するのは結構面倒です。お金も時間もかかります。

 

というわけで、結局なにもしなかったなれの果てが僕なのです。

 

こういう「僕」は日本、世界中にいるのではないでしょうか。

 

だって死に物狂いで解決しない悩みなんてそもそも、現代の凡人、少なくともあなたには解決不可能なものなので諦めて、何か別のことで気を紛らわせたほうが精神衛生上いいでしょう。

 

しかし、「死に物狂いの頑張り」は漫画や映画ではよく見られるものの、僕のような普通の人間がそれをするというのはとってもハードルが高いことなのです。

 

第一、人一倍面倒くさがりの僕が死に物狂いの努力をすることはナメクジが海水浴をすることと同義であり、そもそも不可能なことです。

 

 

とはいえ、そんなのんきなことも言ってられません。

 

なぜなら、この「死に物狂い状態」にならなければ、僕のような弱者が「人生ってつらいこともあるけど、やっぱりいいですね」とはならず、80歳の誕生日に

 

「なんやねん!俺の人生!!しょっぱ!!!」

 

と絶叫し昇天することは目に見えており、早急に対処する必要があるからです。

 

そこで、3つのルールを課すことにしました。

 

1つ目は「期待しない」ことです。

 

結果主義や成果主義だと「うまくいったかどうか」が問題であり、実らない努力は徒労になります。自然に努力できる人ならいいですが、僕のように努力嫌いマンだと

「もーいいっすわ」と努力と完全別居、即離婚となってしまうのでよくないのです。

 

それよりも「うまくいくかどうか知らんが、おいどんは頑張る」とひたすらに努力を重ねたほうがいいのでないかと考えています。(これもなんとも言えませんが)

 

次に「素直になること」で、例えばセルフハンディキャッピングという言葉がある通り、自分ができない原因を自分の特性のせいにして「どうせ僕は○○だから」と悲観的になるのは僕の癖ですが、それをしないように努めます。

 

よく言ってしまうことだと

「もう恋愛とか諦めた」

「もう年を取りすぎた・今から始めても もう遅い」

「頭が悪いから・容姿が悪いから・性格が根暗だから」などなど

 

主観的には正直にそう感じたとしても「100パーセントそう言い切れる?」と問い詰められたら再び考えてしまいそうです。

 

なので、もっと自分の欲求に正直になって「(いろいろ欠点や障害あるけど)この目標を達成したい!」と自分にも他人にもいえるようになりたいです。

 

3つ目は「やり惜しみ」をしないことです。

 

「たったのむ!なんでもやるから娘の命だけはあああ!!」なんて映画のセリフでありそうですが、たぶんこのお父さんはもし敵から要請されれば、僕とマンツーマン英会話授業ですら実施してくれるでしょう。そんな経験や知識がなくても、娘のために自分や他人を巻き込みながらなんとかするはずです。

 

それはこのお父さんに才能や経験があったからではなく、なんでもやったからこそ達成できるものなのです。

 

よって、思い立ったが吉日、うまくいきそうと自分で思ったことは何でもやってみることが今後の課題です。

 

以上、3つのルールを自分に課して行動することで、道が開け…るのかな?どうだろう

 

とりあえず、死ぬ気で頑張るってあこがれますよね。

無理に背伸びしなくていいかもしれない。

(この記事は約1300文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

22歳にもなると、知らなかったり出来なかったりすることがとても恥ずかしく感じられます。

 

先日、会社の方に同行した際、コーヒーをごちそうになりました。

それは良かったのですが、あいにく僕はカフェなどに入ったことがほとんどなく、

「どれがいい?」と訪ねられて困ってしまいました。

 

メニューは細かいし、噂に聞く「トール」とか「グランデ」とかのサイズはちんぷんかんぷんです。気を遣ってアイスコーヒーを頼んでくれましたが、自分の経験の乏しさを呪いました。

 

それだけじゃなく、お客さんにランチをごちそうになったときには食べるのが遅くて待たせてしまったし(しかも少し残した…)おごられることに慣れていなくて変な会話をしてしまいました。早急に話を変えましたが、フォローになっていたのか…。

 

これが中学生や高校生ならまだ良かったかもしれません。小さな子どもが靴をきちんと揃えただけで褒められるように、年齢が若いとそれだけ常識に欠けていたり(その常識も大人が勝手に作った変な慣習なんですけどね)知識が及ばなかったりしても、何か文句を言われることは少ないでしょうが、この年になるとそうもいかないし、これからさきはもっとその傾向が強まるでしょう。

 

でも実際、それだと大人になればなるほど、わざわざ知らない世界に飛び込めなくなりそうです。大人は出来て当然、経験していて当然みたいな空気があったら挑戦しにくくなってしまいます。(同調圧力の効果は日本人の大半が知っているでしょう)

 

経験や知識は人それぞれなのだから、子どもからでも教えてもらえることは多そうです。けれど、大抵の大人たちは自分のプライドを守るために「子どものくせに」とか「女のくせに」とか「学歴低いくせに」……とおおよそ自分が見下している人の意見を聞かないし、自分が自然にこなすことをできない人を見つけるとまるで敵であるかのように“口撃”してきます。

 

もっと素直になって自分ができないことは教えてもらい、できることは教えてあげる文化が広まれば僕にとって望ましいですが、そううまくいくものじゃないことは想像がつきます。

 

 

自分が今まで思い描いてきた「22歳像」はすでに崩れ去っているのですが、新しく作られている「22歳像」も個性の1つですし、何より「30歳なのに…」とか「50歳にもなって…」なんて文句をいわなくなると思います。人それぞれ。

 

これまではテレビの街頭インタビューなどで、受け答えが稚拙だったりしゃべり方が特定の層に(こういう考えもよくない?)属している感じだと、心の中では嫌悪感を持っていました。

 

そういった感情は自然発生してしまうのでしょうがないのですが、ついうっかり「この人頭悪そう」とか「一緒の職場にいなくて良かった」とか言ってしまうので、それを慎もうと思います。

 

人のこといえませんし、第三者から「なんだこいつ気持ち悪い」といわれたら傷つきますしね。(実際何度か言われたこともある)

 

というわけで、やたらと年齢(他にも肩書きや経歴とか)に固執することなく、等身大の自分を受け入れて(もちろん他人も)その上でレベルアップを図りたいです。

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」は言い得て妙。

(この記事は約1300文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

大学に筆箱を持って行くのを忘れてしまいました。

 

どうしても必要だったので、後ろの人に借りようとしたら彼はシャーペンしかもっていませんでした。(でもありがとう)

 

彼は1つしかない消しゴムを「折ってもいいんですけど…」と言い始めたので

あわてて「それはしなくていいです」と止めて、お礼を言いつつ、また別の人に借りようとしました。

 

まあ、迷惑千万なヤツなんですが、それは置いておき、別の人に話しかけにいきました

 

しかし、なかなか予備の消しゴムを持っている人はいませんでした。

(最近の学生は必要最小限の筆記用具しか持たない傾向がある?)

 

最終的に10人目ぐらいでようやく消しゴムのかけらを持っている人にたどり着き、無事任務終了しました。(「あげる」と言われたんでもらいました)

 

この出来事で「シャーペンと消しゴムを借りるのですら、周囲の人間10人程度必要なのだから、自分と恋愛してくれる人を見つけるのはかなり骨だぜ」ということを認識しました。

 

「ずっと恋人いないタイプ」の人間はどれだけフラれているのでしょうか。

失恋人数50人と言われたら「し、師匠と呼ばせてください!」ってなりますが、

おそらく2桁フラれている人って少ないと思います。(学生は特に)

 

ということは、一般的にはフラれる人数は「数人」ということでしょうか。

 

筆記用具すら10人ぐらい必要だったのに!?

 

 

そう、ナンパ人などを除いて、普通に恋愛している学生って十分僕と同じ草食動物だと思うのです。特に女性なんて受け身だと思います。

本来なら全然恋愛という「狩り」を成し遂げることができないはずなんですね。

 

ところが!!!!!

 

端的に言うと、大学生なんてみんな発情期ですので、そのハードルがぐっと下がります

 

さすがに、すれ違いざまに「you俺と付き合っちゃいなよ」といわれて

「はい」と答える女性はまず いないはずです。(男性も!)

 

そんなわけで、「接点」とか「タイミング」とか「文脈」とかが大事になり、恋愛成就が必ずしも本人の魅力次第ではないという現象が起きます。

 

(これが「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる現象」です。つまり、死ぬ気で自分を磨かなくてもある程度の異性(同性でも)と接点を持つことでとんとん拍子で進んでしまう可能性が高い!)

 

同じ発情期の学生でも、接点を持ちやすかったりタイミングを合わせやすい学生同士が関係を深め、1人でいることが多い学生はずっと1人のままになるのです。

 

まさに水と油のような二層構造。

 

さらに経験により思考も変わるはずなので

普通学生⇒「今回はフラれたど次こそは!」「誘われた!私に好意を持っている!?」

卑屈学生⇒「リア充爆発しろ」「恋愛とか顔のいいやつだけの特権」

と片方は自信を持ち、片方は自信をなくします。

 

 

 

そして、これは極論というか暴論なのですが、普通学生も良くない思考を身につける可能性もあります。

 

例えば、そこそこかわいい女性なら大抵の男の獲物になります。特に下半身に正直な学生は口説いたり誘ったりすると思うので、女性としては「モテ期キター」とうれしがるでしょう。そうなると自信が増し、よりプライドも高まるでしょう。

 

さて、そういう男は「やるべき任務」が終了すると急激に萎えることがあります。

落とした城は興味がない、というやつです。

 

さらに悲しいことに「上位互換」の出現が起きる可能性があるのです。加えて、若さの減価償却も発生します。

 

もともと自分の欲求に素直な男であれば、あまりためらいもせず、次のハントに出かけます。

 

こうなると、20代後半や30代になって「学生の頃はモテていたのに、今となっては…」みたいなことが起こりうるのです。しかも、学生時代と違って今度は恋愛に結婚という要素が入ってくるので相手への精査が厳しくなります。(それは自分への精査も同じです)

 

 

 

 

話がとっちらかりましたが、「数打ちゃ当たる戦法」は優秀な作戦です。

 

なので、モテない男(女)はもっと数を打て

 

モテている女(男)は自分が「ラッキーで当たった的」にならないようにお願いします。

 

 

 

余計なお世話か。

 

 

早見あかりが結婚だと…!?

(この記事は約960文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

うーむ、特別ファンというわけではないものの、ももクロ青時代から知る僕としては若干ピクッとなるニュースです。ええ。

 

まず、年齢です。

 

早見あかりさんは23歳。相手の方は30代前半とか。

 

たしかに、昔の僕なら全く気にしないポイントです。

 

たしか母もそれくらいで結婚していたような…

子どもの頃は女の人は20代前半で結婚するのが普通だと思っていました。

(小学校の元担任の先生も24歳ぐらいで産休取っていた覚えがあります)

 

 

ただ、です。

 

 

僕、22歳なんです。

 

最後に恋愛したのって幼稚園時代なんです。

 

まあ、要するに恋愛なんてフィクションでしか見たことのない人間にとって年の近い人の恋愛話・結婚話は

 

大いなる嫉妬の渦を巻き起こすんですよ。

 

そして早見さんは4年間お付き合いしたということらしいので、19歳から20代後半の会社員の方とお付き合いしたことになります。

 

 

あっ…会社員うらやましい。

 

僕が子どもだったら良かったんです。19歳なんて大人でしたから。

 

でも今や、「19歳って子どもじゃん」です。

 

芸能人の方ってよく(?)19歳と交際するじゃないですか。

 

川谷絵音氏しかりいしだ壱成氏しかり。

 

僕の友達の彼女も19歳でした、そういえば。

 

 

そしてこの「自分より年下を彼女にしてる現象」は、当たり前ですが年々年齢が上がっていきます。

 

16歳の頃この現象を発見して6年経ちました。

 

そのうちに「え!?俺より5歳下の子が2児の母!?」とか

「え!?同級生に孫が出来たって!?」みたいな状況が発生することは火を見るより明らかなのです。

 

 

 

この「早見あかり(19)が20代後半の会社員と付き合っていた問題」は

全国の冴えない豚野郎共にそれなりの動揺を与えることでしょう。(元ファンは特に)

 

 

ただ、このままだと僕ら(サクランボの妖精)にとってこのニュースはダメージしかない…これをポジティブ変換することこそ、妖精が取るべき思考回路なんですね。

 

えー、つまり、

 

20代後半だろうが、おっさんと呼ばれようが若い女の子と付き合える可能性はあるみたいなので希望を持って生きましょう。

 

ただし、それができる男のタイプは大抵「勝ち組」であり「本流で生きてきた人」であり、「自信に溢れている人」であり「祭りとかが苦にならないタイプ」であり

 

 

 

 

僕らに道はありません。

 

あ、あと「会社員と芸能人の接点てなんやねん問題」もありますが……もういいや。

 

 

 

自己啓発からどんどん離れているが…

(この記事は約1300文字です。 目安読了時間:2分)

 

ただいま鋭意進行中のプロジェクトがありまして、そのためにこのブログは省エネで更新する予定です。

 

役に立つ内容はまるでありませんが、ぶっちゃけ妄想話が急増すると思うのですが、1つよろしくお願いします。

 

さて、妄想話。

 

YouTuberさんたちの出現により、フリーハグというものを知りました。

単語としては聞いたことある程度でしたが、プラカードを持って街中で、特に1人でそれを実践している人を(PCで)見るとこっちの心がざわつきます。僕なら心砕けちゃいます。

 

で、あれ見て思ったのが

ある種の反響型営業だな、ということです。

 

例えばナンパだと、相手の都合はとりあえず無視して、ダメだったら引き上げます。

まあ、アプローチとしては普通の営業と同じ。飛び込み営業なんてする方もされる方もあんまり良い気持ちがしませんよね。(食い下がれるといやなのはナンパも同じ?)

 

でも、プラカードを掲げていれば興味のない人は素通りし、ノリのいい人が来てくれます。もともと関心があるからこそコンタクトを取ってくれると思うので、話しやすさや企画の進めやすさが段違いだと思うのです。

 

そして「プラカードはもっと使えるんじゃない?」と電車の中で考えていました。

 

僕が想像していたのは

・大学(文化祭とか?)でプラカードを掲げて学生とコミュニケーションを図る。

・観光スポットで「外国人相手に道案内をする」というプラカードを掲げる。

というものです。

 

前者は大学デビューに失敗した学生や東大などの優秀な学生と接点を持ちたい社会人などがやりたいことをプラカードに書いておくことで誰かしら食いついてくれるんではないかという妄想です。

 

僕の実感として、大学に所属していてもコミュニティに参加しなければ友達はできませんし、1年生のうちかゼミ(理系なら研究室)決定までの間に学内の人間関係はずいぶん固定化してしまうので、そこでつまずいた人でもゼロから始められる活動だと思います。(度胸さえあれば)

 

…メンタル面を考えると2人以上でやった方がつらさが半減するかもしれません。

 

 

後者はもうちょっと易しそうです。あなたは外国人の道案内をしたことがありますか?

僕は以前、都内で時間ができて散策していたらトルコ人の方に話しかけられて道を尋ねられたことがあります。

あいにく、その場所を知らなかったので、グーグルマップで検索して連れて行くことに。その方はネットが繋がらなかったようで(しかも1人、若干年齢高め)何人かに道を聞かれても解決しなかったとのこと。相手が困っていたので、僕のつたない英語にも耳を傾けてくれました。

 

ということで、そういう日本慣れしてない人に向けて案内をするというプラカードを掲げれば寄ってくる人もいるんじゃないかという妄想です。夏休みで時間のある中学生とか高校生とかやってもいいんじゃないかなあ~(女の子1人とかはやめた方がいいですが)

 

これをやることにより「なんで英語勉強しなきゃいけないんだバカヤロー!」状態から「俺、夏休みの間、外国人相手に観光案内してたんだぜ」という自由研究兼話のネタになります。

 

まあ、僕は夏の日本を紹介しているうちに救急搬送されそうなのでやりませんが。

 

年々日本の夏の暑さは厳しさを増していますし、熱中症になる方も多いので、屋内でも油断せず水分をしっかりとってくださいね。

 

という特にオチもない話が今後も続くので、えー…

 

すみません。

 

 

 

 

偶然の確率

(この記事は約660文字です。 目安読了時間:1分)

 

先日、高校時代の友人とたまたま会いました。

 

彼は留学先から帰省中で、家族と買い物帰りのようでした。

一方僕は、高校時代によく訪れた書店に行こうと思い、久しぶりにそっち方面を探索、その後学校に向かうために駅へ行こうとしている最中でした。

 

書店では完全に僕の意思でぶらぶらしていて、決まった時間通りに動いていたわけではありません。そしてそれは向こうも同じでしょう。

 

この両者がバッティングする確率は……まあ計算の仕方がわかりませんが、結構低いんじゃないでしょうか。

 

さらにいうと、僕が彼の顔を認識し、声をかけなければ話せなかったので、そういった部分も確率にかかわってきそうです。

 

それ以前に、たまたま散歩がてらにいつもと違う道を歩いていたら小学校時代の同級生に会い、夏休み集まらないか?という話になりました。

 

さらにその前には駅で小学校時代と中学時代の友人にたまたま同時に会い、

しかも偶然その日は予定があって僕の降車駅まで一緒にいました。

 

こういう偶然に出くわすと、いわゆる奇跡などは目立つ偶然であり、意識しない偶然にはいっぱい出くわしているんじゃないかと思うに至ります。

 

さらにそういった偶然のなかには自分から確率を上げられるものも含まれているでしょうから、やっぱり行動するのは大事なんだと思います。

 

しかも僕の体感なのですが、そういう偶然って重なるんですよね。

 

例えば、小学校の同級生に話しかけた日に、別の知り合いに会ったり、

たまたま遠出したときに何かが起こったり…

 

これを狙って起こせれば……