妄想与太話。

大学生の日記です。

リセットボタンに手をかける。

(この記事は約800文字です。 目安読了時間:1分)

 

もう勉強を投げ出したい…そんな気分です。

 

僕は来年から税理士法人に勤務予定なのですが、知識がゼロに乏しく、今頑張って勉強しています。けれど頭の出来は良くないんで、正直挫折寸前です。

 

加えて、今、大学生らしいことを何一つ出来なかった後悔もあります。

 

大学前半では漫画を描いていましたが、結果を残せず…後半は就活に追われていたらいつの間にか終わっていました。休日に遊んだり長期休暇に旅行に行ったことは一度もありません。

 

というか、大学の友達と遊んだことはありませんし、飲み会や合コンに参加したこともありません。

 

それでも「漫画原作者になる」という目標があったのでネームを描いたり、批評を読み込んでたりしたのですが、どうやら僕には才能がないことだけがわかりました。

持ち込みしたときに就活の応援をされたときにはへこみました。

 

正直、頑張っている間は『バクマン。』みたいでいいじゃない♪なんて思っていたのですが、結果が出ないと「俺…何してんだろ」という思考に埋め尽くされます。

 

で、そんな思考がたたってか、1日に20錠の薬を服用するような地獄の春休みが訪れるのですが、それはまた別の話…

 

 

周りでデートとか留学とかその他積極的な活動を聞くたびに

「俺は本当に4年間何してきたんだろう」とむなしい気持ちになります。

 

授業の出席率だけは良かったのですが、そこまで専門知識もありませんし、そもそも偏差値の低い大学なので、勉強では優位に立てません。

 

4年間経って得たものは「生きることが向いてない」というネガティブなもの。

 

 

「そうか22年か。生まれて22年。うん…これ以上無理だ」

 

「リセットしよう」

 

 

もちろん、完全にリセットすることはできませんが、資産も負債もできるだけ避けようと思います。

 

今までうまくいったこと、いかなかったこと、経験、知識を捨てようと思います。

 

言うなれば、「右も左もわからなかったあの頃に戻ること」です。

 

 

脱皮といえば聞こえがいいので、そういうことにします。

 

脱皮開始です。

 

 

 

 

2018年も過去になる。

(この記事は約1900文字です。 目安読了時間:2分強)

 

先日図書館で昭和初期からの物価推移が載っている資料を読みました。

 

「あ、大卒初任給はここから上がってる…けど安!」とか

「はあ、60年代はこれが流行っていたのか」など

 

発見があったのですが、僕にとってはもう実感できない過去とはいえ、まぎれもなくその時代が当たり前に存在し、そこに生きていた人びとがいるのだと改めて考えさせられました。

 

どうしても「今現在(2018年)」に目が行きがちですが、今この瞬間も過去になり、そしていつか誰も覚えていない時間になるんでしょう。100年後には今この世界を構成している人間はほぼ死んでしまいまし。…少し寂しい気もします。

 

最後の審判じゃないですけど、「どうせ死ぬ」というゴールに猛スピードで進んでいることが少し怖く、しかしどこか現実味がない中で、毎日を過ごすばかりです。

 

 

ところで、心を落ち着かせる効果がある(個人的に)ので僕はよくお墓に行くのですが

そこの下にいる人たちも現役で生きていて、「生き終わった」人びとなんですよね。

 

彼らがどんな夢や苦悩を持っていたのかわかりませんが、今や誰もそれを気にかけていない。

そこの享年90代の女性は命をかけたロマンスの経験者かもしれないし、50代で亡くなっている男性はまさか自分が早死にするとは思っていなかったかもしれない。

でも全てが過ぎ去ったことです。

 

これと同じことが未来でも起こるし、人類はそうやって生きてきたのでしょうが、そういうことを考え始めてしまうと、今現在の些細なニュースや自分の悩みがひどく矮小なものに感じてしまいます。

 

あまり自分より若い人と話さないのでまだジェネレーションギャップを感じていませんが、たぶんそのうち

「ネットがなくてどうやって生活したの?」

ガラケーって何?」

「運転て手動でやってたの?」

みたいな子ども、若者が出てくるんでしょうね。いやあ恐ろしい。

 

偶然、20世紀の終わりに生まれたからこそ、僕は大学に通わせてもらい、就職先も決まり、スマホなんて持っていますが、ほんのちょっと生まれる時代が異なれば、今頃戦争で出兵、何もせずに犬死にしてたかもしれません。

 

特攻隊の資料がある知覧に訪れたことがあるんですが、そこに隊員からの手紙が展示されていて、たしか10代後半、20前後の若者が差出人だったのですが、家族それぞれにメッセージを綴ったあと、恋人宛に

 

「会いたい 会いたい 無性に」

 

っていう文で締められているのがあり、正直どんな天才が作る文章よりも心にくるものがありました。

 

確実にこの手紙を出した後青年は自爆して木っ端みじんになっているのであり、

そうなったのは志願兵であったとしても「時代のせい、運が悪かった」としか言い様がなく、本当に人間というものは環境によって人生を決められていると思います。

 

戦時中に生まれなくとも、70年代なら交通戦争や公害などが起こるし、それ以降も時代によって未来から見たら「今じゃ考えられん!」みたいな問題がたくさんあるのでしょう。

 

体感してないから実感できないのは当たり前なのですが、時間の流れが一方通行なのはどうも…むなしい。

過去から手紙は残せるが、未来の自分が経験した後悔から忠告するということができない。

他人からの忠告もありますが、やっぱり本人の忠告じゃないと真に響かない。

 

それでも、昔の人の日記なんか見ると、同じ人間だと実感できます。

技術や常識が変わっても、人間的本質には変わらないものがあるのかもしれません。

 

 

 

で、今僕がやっていることは未来の子孫に宛てた手紙を作ることです。

 

もう二十歳は過ぎましたが、高校時代から日記をつけているので、そこに書いてあることも考慮しながら、生きることについて正直に綴っています。

 

まあ、子孫がいないっていう事態がこのままだと発生しかねないので、それは回避したいです。全力で。そこはもう……うん。

 

で、僕が灰やら土やらになったあとも、そこに生きている人間に何かしらの変化が与えられたら、と思っています。

 

ちょうど僕が今は亡き、マイケル・ジャクソンジョージ・マイケル星新一デール・カーネギー渋沢栄一、エルジェ…といった人たちの著作に影響を受けるように。

 

もちろん、そんなすごいものは作れませんから、そこは血縁のよしみで気を引きたいと思います。あ、未来予想するのもいいかも。

 

ひいじいちゃんが毎日なに考えて過ごしてきたかとか…僕なら気になるんだけどなあ。

そして願わくば子孫でリレーしたり付け加えたりしてもらいたい。

 

唯一残念なのは僕がその手紙を見れないこと。まあ、死んじゃったらそんなことも考えられなくなるんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

頸椎がどうにかならないかが心配。など。

(この記事は約1200文字です。 目安読了時間:2分)

 

皆さんは音楽にノることはありますでしょうか。

 

僕は小学生のときにマイケル・ジャクソンに憧れて以来、基本的に毎日音楽にノりますし、踊ります。

 

で、一番動かしやすいのが首や頭なんですけど、なにせ10年以上不自然に動かしているので、いつの日か「う゛っ!!」ってやらないか心配です。

 

高校の時に垂直跳び90センチを目指してジャンプしまくっていたら軽いヘルニアになったので、腰椎や頸椎といった組織には気を遣うようにしているのですが…。

 

とはいっても、音楽には気分を高めたり、心機一転させたりする効果があると実感しているのでやめられないんですけどね。

 

 

そういえば「ものもらい」こと、麦粒腫になりました。

 

軽かったので病院には行かず、市販の目薬で済ませましたが(そしてだいぶ良くなりましたが)50年、100年前に生まれていたらほんと風邪で死んじゃうんじゃないかな、と思うくらい免疫力が弱いので…細胞達には頑張ってもらいたいです。

 

主因は「黄色ブドウ球菌さん」らしく、食中毒の原因にもなるので皆さんお気をつけください。この時期は怖いですからね。食中毒で入院とかしゃれになりませんからね。

 

 

 

ところで、前々から興味があったひげ脱毛のカウンセリングの予約を入れました。

 

僕はひげを伸ばせるほど濃くなく、放置できるほど薄くないので(その上剃るたびに痛みと闘っている)脱毛をします。

 

日本以外で生まれていたら絶対に脱毛はしませんでしたが、文化的にひげがなくても日本では大丈夫そうなので、脱毛しちゃいます。

 

1回トライアルでニードル式のをやったときは痛くて涙出たなあ。

 

 

 

そいいえば、ガラケーの電源を入れました。

 

久しぶりに「おはよ!」って感じでした。

 

メールとか写真とかメモ帳を読み返すと、思い出や当時の自分らしさを感じます。

 

何かに記録しておくと価値観の変化や嗜好の変化がわかっていいですよね。

 

変わっていないようで、やっぱり別人になっているのは、経験や知識が増えたからなのでしょう。しかし、必ずしも成長とはいえないのが怖いところです。

 

「あの頃は良かった…」ならまだ昔を懐かしむようで平和ですが、

「あの頃の俺は良かった…」だと悲しいですね。

 

 

 

ああ!夏だ!海だ!プールだ!水着だ!

 

市民プールや海に最後に行ったのはいつだったか…

 

僕は人前で裸になるのは嫌いです。あ、いや、もちろん上半身のことです。

 

腹筋はわれていないし、肩幅は狭いし、胸板は薄いし…

 

それに海とかプールって

 

ファミリーとリア充しか生息してないっていうか、奴らのテリトリーじゃないですか。

 

そんなところに放り込まれたら精神的苦痛でプールの底に引きこもります。

 

「誰もお前のことなんて気にしてないって」

「自信はないのに自意識だけは過剰だよね」

「お前の胸は陥没!!!!!」

 

たしかに、いつから「周囲からの視線」に敏感になるんでしょうね。

 

小学生のときなんて何も考えずにはしゃいでいた…

 

まあそのときから見栄で腹筋に力を入れていましたが

 

今年の夏はプールでも行ってみようかしらん。

 

最後の夏休みだし。

 

よーし、そのときまでにマッチョになっなるぞ!

 


Macho Man / Village People

 

 

 

 

ついていけない問題。

(この記事は約1900文字です。 目安読了時間:3分)

 

世の中どんなに頑張っても追いつけない天才達がいます。そんな天才に勝つための方法を紹介している書籍やブログがたくさんありますが、

 

 

その前に平均に達する方法教えてくれません?

 

心理学で上方比較と下方比較というのがあって、自分より優れている人を参照するか、劣っている人を参照するかがわかれるらしいのですが、僕は上方比較派です。

 

が、比較して「よし!負けないように頑張るぞ!」ではなく

 

「あ、無理だ。」

 

と諦めるタイプなので、まったく役にたちません。落ち込むだけです。とほほ。

 

そういうときに(あくまで主観的にですが)自分より劣っている人を見ると、自分ができないのも普通じゃない?と考えるようになります。

 

例えば、ブログ。

 

細かい設定やカスタマイズ、アフィリエイトなど僕は全然わかりません。

その辺のリテラシーはゼロに近いです。

 

ブログを始めて数ヶ月で立派なページや記事を作っているのを見ると、よくマニュアルもなくスラスラできる方がいるもんだなあと感心しまくりです。

 

でも僕のリテラシーが異常に低いかというと、まあ確かに低いですが、そんなに低いんでしょうか。

 

 

だって家電の取説を手に取って目を皿のようにして見てください。

 

わかりやすいでしょう。

 

なぜなら「誰でもわかるように」を目指しているからです。

(それでも読まずに使いこなせない人がいっぱいいますが…)

 

今、100人の子どもや年配の方を集めてブログをやらせたら多分、過半数は確実にできませんね。僕みたいに星新一ショートショートに影響されて、その場で自作小説作る愚行なんてまず犯せませんからね。

 

……なので、「子どもや年配の方にもわかる」というのが解説書や説明書の理想だと思います!

 

 

にも関わらずだ!!

 

何を読んでもブロックチェーンがいつまでたってもわからない!

 

なんだ!「ゼロからわかる」って書いてあんのに……

 

俺、全然わっかんねーよ(泣)

 

仮想通貨もわからない。

 

それだけじゃない!

 

投資もわからないし、副業もわからない。WordもExcelもわからない。

 

仕事の進め方、上司に取り入る方法、ムダを減らす方法…わかんない!

 

資格試験の勉強も理解できないし、語学もわからないし、というか勉強全般わからない。

 

さらに!

 

友達の作り方もわからないし、恋人の作り方もわからないし、

 

夢の叶え方もわからないし、幸福になる方法もわからない。

 

あれ?

 

いつからこんなにわからないものずくめになってしまったのだ!?

 

おーまいがっ!!!!!

 

 

僕の知り合いにはフリーエージェントで活動している人もいますし、医学部や大学院で勉強に励んでいる人もいるし、大手企業に就職が決まっている人もいるし、東大はじめ日本のトップ大学生がたくさんいます。

 

その一方で、自分の4年間の成果は

 

「世の中、よくわかんない。」

 

「人生まじ卍」

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああめああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな僕も嫌いじゃない。

 

 

ブサイク、チビ、デブ、ハゲ、バカ、怠け者、貧乏、不潔…

 

もしもその全てが自分を構成する要素だったら…

 

今以上に苦しんでいるのは確実です。生きるのが嫌になっていることでしょう。

でも70億人も人間がいるんですから、これに全て当てはまる人も相当数いるはず。

 

本人があっけらかんとしているなら良いですが、もだえ苦しんでいるなら哀れです。

 

今の僕にはできませんが、いつか必ず、そういう人の人生を少しでも向上させる方法を作る。それが僕の今の夢です。

 

というか、日常の悩み全般を解決する手助けをするのが僕の望みです。

 

同時に自分自身の人生も向上させたいです。

 

というか絶対向上します。

 

 

今に見ていろ、この弥生をバカと呼んだものどもめ!

 

ついでに全く面識ないのにも関わらず、俺の顔面をディスった友達の元カノ慶應女!

 

往復ビンタだ。

 

それから俺の写真を見て「めっちゃ たらこ唇ww」とLINEした○○物産の友達姉!

 

回し蹴りだ。

 

貴様ら人生エンジョイ大学生が「極悪ぼっち大魔神」弥生の気持ちがわかるか!?

 

挫折を知らん貴様らが将来もがき苦しむとき俺様は!!!

 

 

 

 

 

 

そっと手を差し伸べるだろう。

自作小説『プログラミング』

(この記事は約3100文字です。 目安読了時間:5分)

 

呼び鈴が鳴る。

 

本日1人目の患者。多い日で5,6人を治療する。

 

治療といっても私は患者の身体はいじくらない。いじくるのは脳だ。

もちろん直接触るのではなく、コンピュータを通して電気的に操るのだ。

 

 

「勉強が好きになるようにしてください」

 

真面目そうな学生。聞けば彼は、熱心な教育ママと大学教授の一人息子で、現在有名私立高校に通っているらしい。

しかしそこで成績が低迷し、勉強が苦痛になったという。哀れなことだ。

彼のような人間こそ、治療のしがいがあるというものだ。

 

「ではベッドに横になって。あまり緊張しなくても大丈夫だ…」

 

見慣れない金属の分厚いヘルメットに少年は若干筋肉を硬直させる。しかし、それもすぎにおさまる。ヘルメットから脳をリラックスさせる波長が出されるからだ。

 

「気分はいかがかな」

 

「ええ、ちょっとぼんやりします」

 

「そうか。では治療を続ける」

 

しばらくして、作業を終える頃には少年は眠っていた。少年を起こし、私は効果を確認するために本棚から書籍を持ってきた。

初学者でなくても投げたしたくなるような分厚い医学の専門書だ。

 

「なんだか面白そうな本ですね」

 

そう言うなり、少年は熟読しはじめた。こちらがやめさせようにも食い入るように本から目を話さない。家に持ち帰ってもいいというと少年は本を広げながら家路についた。

 

「やれやれ、今どき歩き読書か…二宮金次郎じゃあるまいし」

 

 

 

私の治療は一言で説明すると脳の再プログラミングだ。

 

彼が勉強をすると脳が快楽を感じるように作り替えた。

 

別に性格が変わるわけでもない。新しい趣味に目覚めたようなものだ。

たばこやギャンブルがやめられない人々がいるが、あれは脳内物質の働きによるものだ。少年にはそれと同様のことをしたわけだが、依存する対象が勉強であれば、ドラッグやアルコールなどより100倍マシだ。

 

最も、合法の医療ではないし、私以外でこの技術を持つ人間が出たり、妨害されたりすると商売に差し支えがあるので、根回しは済ませてある。

 

すなわち、国家権力。有力な警察官や検事、裁判官などは私の顧客である。

私が治療すればどんな怠け者でも司法試験に一発合格するくらいの勉強を自らするように変えられるし、気の遠くなるとうな捜査を嬉々として取り組ませることも可能だ。

 

 

誰かが私を検挙しようが、暴漢に襲わせようとしようが、誰かしらが感知して私の身の安全を守るように約束してある。口約束では心許ないので本当は私を守らせるプログラミングもしているのだが…

 

結局、世の中を動かしているのはそれぞれの人間であり、もはや私には恐るるに足らずの存在だ。

 

 

 

呼び鈴が鳴る。

 

2人目の患者。色白で痩せた、サラリーマンらしき背の高い男だ。

 

「私には忍耐が足りないんです。仕事では上司の叱責や深夜労働が苦痛で逃げ出し、これまでに3回転職しています。またガールフレンドがいましたが、ヒステリーの持ち主でこれに耐えきれず別れました。それから……」

 

男はいかに自分が弱いか、それが原因で生きていくのが嫌になったと私に語った。

 

哀れなことだ。命を捨てることが選択肢に入ってもなお、彼を助ける人間はいない。

私を除いては。

 

ウイルスや細菌が原因なら普通の病院でも治してもらえる。だが、こういった個人の性格の問題は病院では簡単には治療できない。

 

「負の感情をなくして欲しいんです!」

 

男は懇願した。しかし、それはできない。負の感情をなくせば他者の負の感情も推察できなくなり、その結果何をしでかすかわかったものじゃない。

 

「それはできないが、必ずよくしてあげよう」

 

治療に取りかかる。

 

今回は、端的にいえば、マゾヒズムの傾向を強めた。

これで彼は苦痛や困難をむしろ悦びとして受け止めるだろう。

 

人が嫌がることも率先して請け負う。どんな男でも逃げ出すような女性を相手にもできるだろう。それでいて、一般的な喜び、嬉しさも享受できる。

 

今まで苦労した分、幸せになるといい。

彼は深々とお辞儀をして帰って行った。

 

 

私はこの仕事の収入に満足しているが、それ以上にやりがいに満足している。

わけのわからない商品を売りつけたり、傲慢な顧客に媚びへつらったり、なんてのはごめんだ。金のためならしょうがないと自分を納得させるのも私には難しいだろう。

 

もっとも、私自身にプログラミングすればいいのだが、なぜかそれは気が進まない。

 

 

その後も、自分が不美人なのを気にする女性や食べることが好きで極度の肥満になった男性を治療した。

彼女らの幸運は私に出会ったことだろう。

そして同じことが私にもいえる。不幸で哀れな患者がいるからこそ、私は収入を得られ、やりがいを感じることもできる。

 

 

 

呼び鈴が鳴る。

本日最後の患者。大学生の青年で、ちょっとだらしない格好だ。

 

「俺、どうしても人を殺したくて殺したくてしょうがないんです。好奇心からいろんな動物を殺してきました。はじめは猫、そして犬、鳥、猿、馬、牛……」

 

動物好きの私としては心が痛む話を聞いた。しかも彼はその性癖にわずか7歳で目覚めてしまったというのだから驚きだ。とはいえ、殺人衝動についてはさほど驚きはしない。なぜなら、私のところには結構このような患者が来るからだ。

 

犯罪予防として警察に連れてこられる人間もいる。

 

 

「先生は空腹で目の前にごちそうがあったらどうしますか。そりゃ多少我慢できるでしょうが、それもいつまで持つか。今、俺の状況はまさにそんな感じなんです」

 

彼は眉間にしわを寄せながら訴えてきた。手が震えている。ひょっとして、今も私を殺したくてうずうずしているのかもしれない。体力に自信がないわけでもないが、この若者の手にかかれば私などひとたまりもない。

 

「わかった。すぐに治療をしよう」

 

青年をベッドに寝かせ、プログラミングを施す。

リラックスさせ、コンピュータをいじり脳を変え、目を覚まさせる。

 

 

 

「ありがとうございました。おかげで気分がすっきりしています。このご恩は忘れません…」

 

見違えるような顔つきで彼は私の病院を後にした。

 

人を殺したくてしょうがないのを人に尽したくてしょうがない、という思考回路に変えた。今後はお節介と言われるかもしれないが、殺人志願者よりもだいぶましだ。

 

ひょっとしたら将来何かの分野で著名人になるかもしれない。人に尽くすというのはそれだけ需要のある行動なのだ。

 

 

それにしても世の中には哀れな人がたくさんいるな。そのおかげで私は裕福な暮らしができるのだが……

そして脳の働きに手を加えるだけで、端から見て哀れな状況にいたとしても当人は幸福の中心にいるわけだ。環境を変えるよりはるかに簡単で確実だ。

 

皆が私のことを知ったら悪魔と思うかな。それとも救世主と思うかな。

 

まあ、それも当人の脳次第、か………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても報奨制度ってのは良いのか悪いのかよくわからんなあ」

 

「ああ。悪いことをしたら刑罰が与えられる。善いことを報奨を与えられる。かつては賞金やら名誉やらが普及していたが、刑罰に比べてあまりにも軽かった」

 

「それで行きついたのが、希望制で本人の望む夢を見させるというアイデアとはなあ」

 

「懲役ならぬ禄夢5年なんて与えられたら、夢にまでみたあんなことやそんなことができる生活が5年間続くんだぜ。それに夢を見ている間はほとんど年を取らないらしいし仕事も免除される。生活補助金も支給される。まさに至れり尽くせりだ。この間も人命救助でおじいさんが報奨を与えられ、夢を選択したんだと」

 

「夢を見ていることを認識できないのなら、楽しい夢の中の方が辛い現実よりもいいのかもな。だか、何か納得できない部分があるなあ」

 

「ま、俺たちには縁のない話さ。現実に生きようぜ」

「…それもそうだな」

 

時折、自分が大手柄をあげたり、外国の要人を命がけで守ったり、芸能人と恋に落ちたりする空想をするが、あれを現実であるかのように感じられたらさぞかし楽しいだろう。だが、そこそこの暮らし、そこそこの成功、そこそこの幸せ。そして疲れ。これが俺の現実なのだ。

 

そしておそらくこの世のほとんどの人が……。

 

人を見かけで判断するな!あ、だからって中身だけはちょっと…

(この記事は約1400文字です。 目安読了時間:2分強)

その人の真の価値というものは容姿で判断すべきか、中身で判断すべきか、それとも両方か……。ブサイク界のイケメン、弥生仁が出した答えとは……!?

 

f:id:yayoizin:20180710212944j:plain

 

恋愛の話題になると、

「容姿にとらわれるのは未熟、中身(=性格など)こそ本当の姿」

という考えが広く普及していますよね。

 

僕はこれに違和感を覚えます。

 

見た目もその人を構成する本物の要素だし、中身だって遺伝と環境で決められているに過ぎないのでは?

 

たしかに、顔面偏差値2の僕としてはありがたい風潮です。

「顔が悪いからモテないんじゃない。ホラ、イケメンじゃなくても彼女を連れている、美女と野獣カップルがいるだろう」的なフォローも受けます。

 

が、それって遠回しにこう言ってませんか?

 

「モテないのは君の顔が悪いんじゃない。中身が悪いのさ!」

 

なんか、これむしろダメージを食らうんですが……

 

たぶん、中身(実際、脳?)こそ「本物」というのは顔を含む容姿が遺伝的にほとんど決まってしまう一方で、性格はもうちょっと柔軟性があるように思われているからなのでしょう。

 

しかし性格について(僕は学術的に学んでいませんが)だいたい

 

遺伝で色が決まり、環境で形が変わる粘土のようなもの

と認識しています。

 

生まれながらに社交的、内向的、攻撃的などのカラーがあるものの、それでも同じ色は1つとない、その上、形はまさに千差万別で、しかも変形するという特性がある。

 

そこで問題になるのが、形は「自ら変わるのか、変えられるのか」ということです。

 

「よっしゃ!攻撃的な性格を変えてやるで!!」と意気込んで変えていくのか、

「えらいこっちゃ…ここの先輩達は悪鬼羅刹の類いや……」と次第に子犬のような性格に変えられるのか。

 

白黒はっきりとはわかれないものの、後者の方が影響が大きいでしょう。

(でなけりゃ、みんな自己啓発成功します。)

 

 

そう考えると、残念な性格の人も情状酌量の余地がある気がします。

 

だって、「親はネグレクト&虐待してくる、通った学校は学級崩壊、友達はゼロ、就職先ではいじめられている」人がいるとして、この人が道行くおばあさんに

 

「荷物重そうですね。お手伝いしましょうか?ニコッ」

 

なんてセリフが言えたらほんと、もう、何かしら与えますよ。どえらい何かを。

 

普通は「はい、えんがちょ」したくなるすさんだ性格になってしまうでしょう。

 

 

 

 

オウム真理教が死刑執行をきっかけに話題になってますが、洗脳も環境で性格を変える方法です。

気質(=色)がバラバラでも同じ洗脳の手口で性格(=形)を変えられてしまうのだから怖い話です。

(色はバラバラなのに形が妙に統一されたオブジェのイメージでしょうか…)

 

じゃあ性格で判断するのは差別かと言われるとそうじゃない。

 

結局は善悪とか美醜ではなく、好き嫌いの問題なんだと思います。

 

評価者がどう判断するか、それだけです。だから容姿100%でも別にいいし、半々でもなんでもいいんです。ただの好き嫌いの話ですから。

(これは世の中の批判・風刺・賞賛全てにあてはまりそうです)

 

 

 

 

 

まあ、僕が言いたかったのは「見た目がタイプ!」っていう人を思考停止で軽蔑するのはいかがなものか、ということ。

加えて、「断固性格重視!」の人も性格は環境で変えられるから結婚とか子どもができたり環境が変わったら相手の性格に失望するときが必ずくること。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、最強はぼっちなのです。

 

 

 

 

 

 

 

お化粧をする権利かお化粧をする義務か。

(この記事は約1000文字です。 目安読了時間:2分弱)

 

セミの鳴き声が聞こえました。もう夏ですね。

 

そんなことを考えながら朝身支度するんですが、僕は朝の身支度が苦手で、今日は2時間かかりました。もし僕が女性でお化粧もしなくてはならないとしたらと思うとゾッとします。

 

ああ、男に生まれて良かった。

 

が、しかし。それは逆に男はお化粧できないことを意味します。(もちろん不可能なわけではありませんが…)

 

ジョークとして女性がお化粧を落としたら誰だかわからなかった、なんて話もありますが、実際お化粧マジックは人をだませる力があります。

 

でも、男性はこの力を基本使えません。

 

そのため、容姿を気にする世の少年・青年は丹念に髪をいじり回します。

しかしどんなにいじり回したとて、効果は薄く、ひどい言い方をすればどんぐりの背比べです。

 

ただ女性はお化粧できるありがたみも感じつつ、「身だしなみ」として毎日せっせと顔を作らなければならない生活を面倒に思う人もいるんじゃないでしょうか。

 

こうした権利なのか義務なのかわからないような例は他にもあります。

 

例えば、スマホSNS

 

僕たちはちょうどガラケーからの移行期を目撃したわけですが、スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグのようなカリスマに加え、技術者の血と汗と涙によってスーパー便利ツールを(お金を払えば)利用できる権利を有しました。

 

これは昔と比べても明らかな進歩で、私たちは幸せに感じるべき…なのですが。

同時に高い本体代、通信費を払うことになり、ネット中毒やSNS中毒を生み出し続けています。しかも「俺は面倒だからいいや」とはなかなかなりませんよね。

そこに快楽発生源があれば手に入れたくなるのが動物というものですし、LINE全盛の時代に「俺にはメールで送って」なんていったらひんしゅくを買うこと間違いなしです。

 

 

上記に共通するのは「嫌ならやめればいいじゃん」といえることです。

 

しかし、常識の流れに刃向かえる人はごくわずかです。

 

たぶんこの「常識」に今まで何百億人の人が苦しめられてきたことでしょう。

 

常識に縛られない唯一の方法は他人を気にしないことですが、それが多数派になったらなったで秩序は崩壊しますし……

 

長いものには巻かれよってことですね…。