ハイクオリティ・スパイラル
(この記事は約1600文字です。 目安読了時間:3分強)
人類の進歩は日進月歩で、私たちの暮らしやサービス、技術は絶えず成長しています。つい何十年前では考えられなかったことが当たり前になり、昔の人が見たら「恵まれてるなあ」なんて思うことでしょう。しかし、どれだけ物質的に豊かになっても、そのことと幸福感は必ずしも比例しないのではないでしょうか。おそらく、この先何百年経っても人類の多くが日々幸せを感じることはないでしょう。
僕はついこの間まで就活の真っ最中でした。会社説明会にもたくさん参加したのですが、いやはやどの企業も毎日必死に仕事をしているんだなあと感服します。
主に接客業を中心に日本企業の「お客さまに尽くす」精神の程度は尋常ではありません。例えば、売り場のあるお店では従業員にものを尋ねると親切に教えてくれることが多いですし、電車は数分遅れると車掌から謝罪が入ります。
僕がニュージーランドに行ったとき、商品のおまけにブルートゥースのスピーカーがついたことがありました。僕は英語がわからなかったので何を説明されているのかわからず、ドギマギしました。その間、店員さんはガムをかみながら「なぜこいつは理解できないんだ?」という顔でぶっきらぼうに説明してくれました。(実際は普通だったのかもしれませんが外国人に慣れてなくて…)
日本人店員だったら外国人相手につたないながらも必死に思いを伝えるのではないでしょうか。
企業のサービス・製品はお客さま第一に考えられ、いかに相手の心の隙間を埋めるかに心血を注いでいます。もちろん、お金を払ってくれるという前提があるのですが、それにしてもハイクオリティな商品が提供されます。
ただ、これは消費者としてみればありがたいんですが、提供者に回るとなかなか厳しい現実があります。
もしも電車が海外のようにしょっちゅう遅れるのであれば、たかが数分の遅刻にキレ出す人も生まれなかったでしょう。
これは「数分遅れた」ことよりも「いつも遅れないのに遅れた」ことから怒りが発生しているのです。すごく優しい人なら遅延が発生しても「定刻通りに運行するのを当たり前に思っちゃダメね、感謝感謝」なんて思うのかもしれませんが、普通の人は優れたパフォーマンスが基準点になっているからこそ、それが落ちたときに「怒り・不満」を覚えます。
「またこのマンガ休載しやがった!それでもプロか!!」
「こっちは金払ってやってんのに、なんだその態度は!?」
「前の担当者はこっちの要望を汲んでくれたんだけど。お役所仕事しかできないの?」
「今回発売の新商品はゴミです。買わない方が良いです。」
「この芸人くっそ寒いわ。よくこれで芸人目指したよな~」
まさに「普通じゃ満足できないいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」状態です。
誰しも満足できるサービスを提供できる人なんかいません。
それでも少しでも高いクオリティを実現するために日夜大勢の人が努力し、寿命を削って頑張っているのですが、その結果生み出したものは良いことばかりでなく、副作用も生み出していることを忘れてはいけません。
ひとたび「高品質の基準」が生まれてしまえば、それを下回ることは通常許されません。
「なんでこんなに必死になって、人生を犠牲にして仕事しなきゃならんのだ?」と思う人がいれば、その答えは簡単です。先人達やライバル達が頑張った分、こっちの負担が増えるのです。
昨今(というかいつの時代も?)若者の質が低下していると唱える人もいますが、もしお望み通り“質”が上昇してしまうとインフレが起きます。
それが政治への関心だったらお年寄り向け・富裕層向けの政策は通らなくなるだろうし、学力だったら今の現役東大生大半は偏差値の低い大学に追いやられます。スポーツなら記録はどんどん上塗りされるでしょうが、それはまさしく命を削る戦いになるでしょう。ビジネスパーソンだったらどんなに頑張っても上位の成績を残すことは難しくなり、家族・プライベートを犠牲にしなければやっていけないでしょう。
理想の生活は人それぞれなので、僕が言えることはありませんが、どんなにサービス・技術・能力・知能が向上しても心に目を向けなければ人が真に幸福になることはない気がします。
そして恐ろしいのは「個人の幸福」よりも「お客さま」の方が優先されるので、少なくとも僕が生きている間は国民全体ですらも幸福にたどり着けないことです。
そして僕もまたその一因として、「自分と関わる人の幸福」よりも「お客さま」のために人生を費やしてしまうのです。