妄想与太話。

大学生の日記です。

放送中止となったドラマ『幸色のワンルーム』について

作品自体今日知ったのですが、『幸色のワンルーム』という漫画があり、それがテレビ朝日系列で実写化され、7月に放送予定だったそうです。

 

『幸色のワンルーム』はざっくり言うと、両親に虐待され、同級生にいじめられていた自殺志願者である少女と彼女を誘拐する(実質匿っている)青年のお話なんですが、ここで「誘拐を正当化していないか」議論が噴出して、制作側は放送中止を決定したようです。

 

作品をみて単純に「うん、面白いじゃん」と思った僕ですが、こういう議論を見ると「正しいと思うことを主張せざるを得ない人間の性」を感じます。ネット上でも放送中止について賛否両論あるみたいですね。

 

ネット上の口論から国会の討論までに共通することだと思うのですが、たいてい勝敗はつきませんよね。裁判なら、一応なんらかの形で決着がつくと思うのですが、ほとんどの口論やいさかいには勝敗がなく、している人も見ている人も、あまり気持ちのいいものではないと個人的には思います。それなのになぜこんなに議論…というより口論がはびこっているのでしょうか。僕はそこに人間の生物としての本能が絡んでいると思います。

 

僕がネットを使い始めたばかりの右も左もわからなかったころは(10年ぐらい前?)口げんかなどはクラスの誰かがたまにおこすもの、ぐらいの認識でした。それも年齢が上がるにつれてけんかもなくなり、「これが大人に近づくってことね」と小学生ながらしみじみ思っていました。

 

それが、今や日々生きていて、「人間の怒り」を見ない日はありません。特にネット上だと高い確率で「怒っている人」を見かけます。本当にごく少数の人は周囲に当たり散らしてすっきりする、という他人からすると迷惑な性格を持っていることもあるでしょう。けれど、多くの人は見ず知らずの人に誹謗中傷されて良い気持ちはしないはずです。

 

 

 

生物として生まれた以上、地球から与えられるテーマは「競争」です。

それは種として繁栄し、生き残ることかもしれないし、個体として頂点に君臨することかもしれません。とにかく、競争することはほとんどの生物に与えられた共通の課題であるように思えます。競争するということは敵を蹴散らし己の理想を達成することです。その理想は個体によって様々あります。

 

人間も例外ではなく、世界史を眺めても人類は戦ってばかりです。国同士の戦争から政治闘争、宗教論争、真の芸術を巡っての対立…スケールを小さくすれば夫婦の対立、嫁姑の対立…今も続いていますね。

 

それに加えて最近のトレンドになっているのが「個人の尊重」へシフトです。まだまだ未完成ですが、僕はそれを実感します。だからこそ「平等な人間であるのにこれは不公平だ!」と種々のハラスメント問題が噴出するようになったのではないでしょうか。(奴隷が普通に存在していた時代には使用者も奴隷も「権利?何それ?」状態だったことでしょう)

 

 

「どうせいつか死んでしまうのだから、人生楽しんだものがち

という考えは戦時中では考えられないことでしたし、逆にそういう考えを当たり前に受け入れてしまうと、今度は誰かのため、何かのために自分を犠牲にするということがしにくくなってきます。みんななんだかんだ言って自分が大切でしょうから。

しかもどんどん便利ツールが登場します。「匿名でインターネットに自分の主張を書き込めるサービス」なんてものがあると知った日には…使いたくなっちゃうでしょう。

(僕もそうです、このブログも)

 

 

思ったことを言い、やりたいことをやる、というのは個人の尊重が最大限に発揮された状態です。しかしそれは得てして他人の大事にしていることやものを踏みにじることになります。

「相手が嫌がることはやってはいけません」

というのは道徳の時間で教わることですが、これは本当に道徳上の問題で、たとえ法律を犯すことになっても物理的にはやってやれないことはありません。僕は(しませんよ!しませんけど)渋谷で全裸でダッシュできるのです。

 

まあ、法律を破るようなことは国家権力が介入してきますが、「電車で泣く赤ちゃんに向かって怒鳴る」「クラスメイトをいじめる」「アイドルだけど恋愛をする」などのグレーゾーンの行動は人によって反応というか、解釈が変わります。

絶対的に正しい倫理や道徳、ルールは存在しないのですから、個人個人が今まで培ったきた常識に照らし合わせるしかありません。

だからこそ議論が複雑になり、みんなやっきになって「我こそが正義なり!」と勇んで舌戦を繰り広げるのですが…

 

猫はよくけんかをしますし、犬も散歩でよその犬とすれ違うとお互いに「なんだこらあ!!」と叫んでいます。(例外はいますけど)

結局の所、あれと本質的には同じことが起きているのではないでしょうか。自分の権利を主張するために(例えばマイノリティの方々など)声を大にして戦うことも、「そんなことに目くじら立てないでも…」と思うようなことをお互いに罵り合うことだって自然なことです。

 

「まあ、そういう考えもあるかもね~」

と流せるゴールデンレトリバータイプの人は少数派で、むしろ本能的に

「俺の言ってることが正しいんじゃ!おお!?」

というチワワタイプの人が多いのではないでしょうか。

 

そういう僕もネット上でけんかをすることはありませんが、身近な相手だと(特に相手の主張が誤っていると思うと)自分を曲げないことがよくあります。

これも本能なのかもしれません。

 

であれば、断食や禁欲などと同様に、「戦わない」ことは本能にそむく人間にとって非常に辛いものなのではないでしょうか。

 

そう思うと、世の中にあふれる小さないざこざは人間というか生物としての本能によるものなので、あまり気にしてもしょうがないことなのでしょう。今後何十年、何百年たっても遺伝子に刻まれているのだから人間は戦うことをやめないと思います。

「ふふっまた怒ってる。人間らしくてかわい~」ぐらいの気構えでいれば、他人の怒りをやり過ごせるかもしれません。…そうか?

 

 

 

そうは言っても、「けんかよりもくだらないバカ話」の方が好きなので、僕は極力“口撃”しないように心がけます。

話が支離滅裂になってしまい申し訳ありません。

 

とりあえず、『幸色のワンルーム』検索してみてください。笑

長文を読んでくださってありがとうございました。